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文 TAKE


第二期 〜2005年の大きな出会い〜


2004年の11月に初ライブが終了となって、当時いたalto.saxミキ tromboneマサミチ tenor.saxケイイチロウbaritone.saxヨシユキが一挙に脱退と、なんとも先行き不透明な状態で再始動となった。
スタジオに来るのも第一期メンバーといわれる四人でだけで、リズムマシンをちまちま鳴らしセッションをする日々が続いた・・・。


当時私はキーボード担当だったので、これで完全に管楽器が全滅状態である。
前からトランペットにはブランクがあるため初ライブの一回こっきりという条件で吹くことを約束していたためか、私が初ライブ以降トランペットを持ってこないことに誰も文句をいう人間もいなかったし、自分も後はベテランの方に全てをお任せするつもりでいた。


年も明け、2005年になって管楽器がいない状態でスカパラを演ってはいたが、最初のうちはそれなりには楽しかった。
ただ、漠然とスタジオに入り二ヶ月の間仮想状態でスカパラを演ることにフラストレーションが溜まってきたのも事実で
「いつまでこんなことをやるんだ」と語気は柔らかめにだがmasahideに詰め寄った事もあった。無論彼はそれまでメンバー探しを精一杯やっていたし、呼びかけも誰よりも働いてくれてた。しかしいつまでも結果を出せていない事に私は少々苛ついていた・・・。


これ以上この状態が続くならスカパラを一時休んで既存のメンバー五人でオリジナル作品やジャズ方面の活動をしようと私は提案したこともあり、その事は誰も反対しなかった。


後少し彼らに出会うのが遅ければおそらくROLER COASTER!!は別バンドになっていたとも思う・・・。

彼らとの出会いはmasahideが現在活動休止中の有名バンド「ジャマスカ」にお手伝いの依頼を打診したのが、きっかけである。

daisuke
実はこのジャマスカというバンドは仙台で名の売れた歴史のあるバンドでもあり、メンバー全員、実力知名度共にスカバンドNO.1といっても過言ではないタレント集団である。無知な私達第一期メンバーはそんなことは全然知らず、上手そうだね〜位の呑気な気持ちでかまえてた・・・。その人気バンドのリーダーdaisukeが後の「ska me隊長」となるkobaを引き連れて来たのはこのローラコースターにとって大きな財産となった。

koba
しかしトランペットに関してはそれでも人材がいなく、横のつながりのあるdaisukeさえもやってくれそうな人は心当たりがないと良い返事は頂けなかった。


正直に吐露すると彼らを招き入れる一週間前、キーボードでは目立てないという我が儘な理由でここぞとばかりトランペットに移ると勝手に宣言し、皆を混乱させたことを付け加えておこう・・・。 建前上自分がやるしかないと言ったが、単に目立つポジションを奪いたかったためである。さらにいうとキーボードも自分がやるという暴挙に近いことも言い出したが、これはあっさり先輩トムさんに却下された・・・。(当たり前か・・・)


だが、daisuke.kobaを招き入れての初練習の時に自分の浅はかな考えに直面してしまうのである。
daisukeが軽々しく吹いた音はhigh F以上を越えるもので、kobaはペース音を瞬時に取り流暢にアドリブしまくっていた・・・。勿論この事は安易にトランペットをやる等とぬかした自分に相当なプレッシャーがかかっていった・・・。


前述の記載でも分かる通り、この我が儘で身勝手な私が年下でもあるdaisukeに丁寧に接し今でも頭が上がらないのはこの衝撃があまりに強かったのと、並ならぬ練習をしきただろう彼を現在目標としているからでもある。私の傍若無人ぶりを知っているmasahideなどはいまだに何故そんなに丁寧なの?と摩訶不思議な顔をしているが、私が強くなれるのは女、子供だけという自分より弱い立場の人間だけなのだと、最低っぷりををこの場でアピールしておこう・・・。

satoshi
それまで正式メンバーであったSATOSHIだが、仙台では売れっ子ドラマーでもあるため2004年11月の初ライブを境に他バンドに精を出す事が多くなり、しばし音信不通となった。


毎度バンド内で問題事を起こす私は、当たり前のようにここでも一つの過ちを犯してしまう・・・。


人も集まりドラムを入れてセッションをしたかった私は彼に何も連絡を入れず大々的にドラム募集の告知をしてしまう。有名サイトの告知だけに絶妙なタイミングでこれを彼に見られてしまい、その意図と自分の今後について彼に問いただされた。弁解のしようがない私はひとまず詫びた後、お前も練習に来ないのが悪いんだと居直ったのを今でも覚えている。


ただ、双方和解まで至るのにはそんなに時間はかからなかった。単純馬鹿と単純王の話し合いなので、事はそれほど悪化せず、以後彼は積極的に練習に参加するようになっていった。


ただでさえ上手い彼に、この事は相当彼の意識に拍車をかけるものだったのだろう、スタジオの彼のドラミングはこれ以降まさに無比で完璧になり、その芸達者な彼の真の力量にメンバー一同唖然とした・・・。


又、これと同時期に、DAISUKEの相方AYAKOが練習に遊びにくることがあった。AYAKOは中学時代のmasahideの部活の後輩で、実に管楽器のつながりというものは狭いものだと感じた・・・。

ayako
彼女はスカパラ命、スカパラ通、スカパラ信者という他を寄せつけないほどぶっちぎりの三冠王でもあり、その知識は右にでるものさえいない。他バンドでの活躍も特筆ものでソプラノからバリトンまで吹きこなし、コーラスの腕前もえらく達者でもある。お洒落な煙草を吸うポイントの高いお姉さま系のくせに頭がメチャ良いという、超お下品、超お馬鹿な私にとって天地程かけ離れている女性でもある・・・。


そのayakoがバリサクを持って遊びにきたときに、明らかにサウンドが変わった。こうも低音が厚くなると違うものかと感動した私は練習後のミーティングにさも当たり前のように以後の練習にも必ず来るようにと誘い、承諾を得た。
まあ、ここで例え断られても頷くまで帰すつもりなど毛頭なかった。さすが女性にはめっぽう強いtakeでもある・・・。↑hoppy 暖かい人柄


サポートメンバーでパーッカション、キーボードが加わり万全の体制が整って、2005年初ライブまでさしせまったある日、当バンドに加入したいという一人の若者がいた。kobaの大学の後輩で「ソースカ」というフレッシュ&ヤングな学生スカパラバンドに在籍している通称hoppyである。2,3ヶ月前までは探しても探しても人が集まらない状況だったのに、ここにきて一気に息を吹き返す程にいい波が押し寄せた。人数的にもまさかこれ以上なるとは思わなかったが、やりたければどうぞとこれまた安易に許可する。

hoppy
飄々としていつもゴキゲンな笑顔の彼は、洞察力の長けてる私でもその裏の顔が読みとれぬほど不思議な存在でもある。
多分もう私は世間に揉まれ汚れているのだろう。フレッシュなkoba,hoppyを見るとそのニュートラルな感性には、若者のあるべき純真さを垣間見たきがする・・・。


以上紹介した5名の方が正式にローラーコースターで演ってくれるというとで、ついにメンバーが固まった。
そして2005年4月17日に2度目のライブをやり、その一ヶ月半過ぎにライブ予定と、ローラー結成以来の忙しいスケジュールとなる。
現在ジャズフェスや野外での企画も進行中で、まさしく今年が飛躍の年になるといえる。
この新メンバーを向かい入れたローラーコースターは今ホントに自信をもって、皆に紹介できる。
現在のアグレッシブで派手なパフォーマンスは新メンバーが生み出してくれたものでもある。